2011/09/09行政不服申立制度の改革方針に関する論点整理(第2版)に関するパブコメ

代表幹事の坂井昭彦です。

8/27の日記でもちらっと書いた「行政不服申立制度の改革方針に関する論点整理(第2版)」に関するパブコメですが、全青税の法対策部が対応するようで、さっそく9/6に意見(案)が回って来ました。

本来は連盟の制度部でも当然に検討して対応すべきなのですが、現在は秋季シンポジウムのディベートへの対応が喫緊の課題だという事で制度部が一丸となってそちらの方向を向いて活動をしており、それ以上の活動はなかなか難しい状況にあります。

そこで、このままスルーすべきかどうか迷ったのですが、9/6に回って来た全青税の意見書(案)を見てみたところ、書きぶりにちょっと違和感があったので、このまま何も意見表明をしないのも問題かと思い、8/27のブログに書いたような方向性で意見形成していただくよう、市木会長と福島法対策部長に直接意見を送りました。(もち長文メール ^^;)

市木会長と福島法対策部長からは丁寧なお返事をいただき、その後何度かやりとりをしましたが、最終的には理事会の場に委ねようという話になりました。

(論点1)簡易迅速化・一元化

今回の論点整理については、基本方針の改正のところは「行政の無謬性・優越性を排し、主権者である国民の柔軟
かつ実効性のある救済を進めようとする趣旨」といった評価できるくだりもあるのですが、いくつかの点で疑問に思うところがあります。

ひとつには「簡易迅速」とか「一元化」とかやたら効率性を求めるかのような方向性が打ち出されていることです。国民の権利救済が簡単に手早くできるようになることは当然望ましいのですが、それよりも大事なのは「本当に救済されるべき者が確実に救済される事」だと私は思っています。

簡易迅速にした結果「本当に救済されるべき者」ではない者までもが「救済」されるのは問題ですし、逆に、簡易迅速の名の下に手続の準備に要する時間も制限され、十分な準備もできないうちに、問答無用で救済が打ち切られるようなことがあっても問題です。(例えば標準審理期間の設定などもそういった問題をはらんでいます。物納制度の改正なども簡易迅速化がはかられた結果、かえって納税者には使い勝手の悪いタイトな制度となってしまったという評価もあり、参考になるかと思います。)

一元化にしても、例えば異議申立ての前置強制が問題だから、前置を廃止して一元化すればいいという、ぱっと聞くとなんだか正しそうな話で議論が進んで行ってしまっているのですが、国民の権利救済を考えた場合、果たしてそれがあるべき姿なのか、私には疑問なのです。

異議申立てと審査請求はいずれも権利救済の手段です。これらの前置が強制されると、即時に訴訟を提起したい国民には不利益となりますが、だからと言って、例えば異議申立ての制度を廃止したとすれば、それは国民の権利を救済する手段をひとつ放棄する事にはならないのか?

それが私の疑問です。

前置を強制さえしなければ、国民の権利救済のための手段、ツールとして、異議申立ても使えるのに、わざわざそれを「一元化」の名の下に絞り込んでしまう、集約してしまう、廃止してしまう、つまりは国民から取り上げてしまうのは、本当にあるべき方向性なのか?

それが私の疑問です。

国民の権利救済の手段(ツール)は、ただでさえ少ないのです。

前置強制が悪なのであって、異議申立て(権利救済のツール)は悪ではないのです。

これって、考えようによっては、手持ちの武器をとりあげられようとしているだけなんじゃないの?

本当に「一元化」が国民の権利を救済するために、あるべき姿なの?

それが私の疑問なのです。

世の中何でも効率が良ければいいってもんでもないし「小さな政府」を目指す事が必ずしも良いと言うわけでもないんじゃないの?

それが私の疑問なのです。

(論点2)審理官

審理官制度の創設についても語弊を恐れずに言えば「何じゃこれ?単に天下り先を作りたいだけなんじゃないの?」というのが正直な感想です。(^^;

国税不服審判所の改革をめぐる議論の中でもまず真っ先にやり玉にあがるのが国税不服審判所及び審判官の「第三者性」の問題です。人事交流などがあれば「自分が帰る場所にいる仲間に悪いようにはしない」といった暗黙の了解のもと、救済を求めている国民ではなく、身内の方に有利な結論を導きたくなるのは人間の性ですし、一方通行で戻れない場合でも独立した立場には立てず「元身内」の方に有利な結論を導きたくなったとしても何ら不思議はありません。

にもかかわらず、誰が審理官になるのか?という点については、基本的には処分庁に属する人間がこれになることを前提とし、そのために第三者性が損なわれる事のないようにということで、諸種の細かな規定、例えばわざわざ「審理官は独立して職権を行使し、法令と良心にのみ拘束される」などと書いてみたり、身分の保障などをうたったりしています。

そして公正性の確保のためには外部登用「も」検討した方が…なんてことを言っているわけです。何を言ってんだか。

逆ですよね、考え方が。

外部登用を原則にすれば「審理官は独立して職権を行使し、法令と良心にのみ拘束される」なんてこたー当たり前の話でわざわざ書く必要がないし、特別な身分保障なども必要ない。人事交流もない。シンプルなもんです。

特例として処分庁内から人材を引っ張ってくる時だけ、本当に国民のために独立した立場で仕事をする人物かどうかの見極めや、そのための環境整備を考えれば良いのではないかと私は思います。

外部登用も二種類あって、税理士などの士業の職能を使うことが妥当であれば、各士業にその役割を振ればいいし、そうでなければ、審理官自体を専門職(士業)として設定し、試験に合格した人しか審理官になれないような仕組みを作れば良いだけの話です。

新しい権利救済システムを作ろうという話をしている時に、何故、既存の、それも処分庁の人材をわざわざ審理官にしなければならないのか?

なぜ、審理官の資質の中に、行政実務の「知識」だけではなく「経験」までうたっているのか?

「経験」なんてものがうたわれてしまって、それがもしも「必須」とされたら、結局は「処分庁の公務員」でなければ審理官になれない、なんてことになってしまいます。

しかも局長クラスの人間が審理官になることも想定されるから、ノーリターンルールの徹底も場合によりけりだ、的な記述まであるところなどは、要は「人事交流もOKにしろ」と言っているようなもので、到底容認できません。

また、「審理官を補佐する体制」ってのも微妙ですね。(--;

「審理官は、裁決意見書を自ら作成し、これに署名することとされており、審理官がその補佐をする者に裁決意見書を書かせて単に承認するだけになってはならないものと考えられる。」

なんて書いていますが、これってたぶん逆説的に書いているんですよね?(わはは)

能力のない審理官(親方)でも、優秀な補佐官(補助)がいたら審理官として業務ができる、みたいなイメージを抱いてしまったのは私だけでしょうか?どこかの業界でもありそうな話ですが。

(論点3)代理人の範囲の拡大

これは純粋に税理士としては反対ですが(わはは)、それだけではなく、範囲を拡大した結果、質の悪い代理人が国民の代理をして、それがために「本来であれば勝てる戦いに負ける」などといったことを惹起させかねないので、闇雲に拡大する事には当然、反対です。

坂井昭彦@とまーこんなところで寝ます。明日は昼から千葉なのでちょっと気分的には楽ですが。(^^)

p.s なお、上記意見はかなり私見(偏見)が入っていますし資料斜め読みの部分もあったりしますので、その点はどうぞお含み置き下さい。(わはは)>ALL